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マーラー祝祭オーケストラ
Mahler Festival Orchestra
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■マーラー/交響曲第7番を彩る特殊楽器
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交響曲第7番ではそれまでオーケストラではほとんど使われたことの無い楽器がいくつか用いられています。 時折、普段聴きなれない響きが現れるのがこの曲の魅力のひとつと言えるでしょう。 そこで!交響曲第7番をより楽しむために、登場する特殊楽器をご紹介しましょう。
Tenorhorn (テノールホルン)
![]() 第7交響曲の冒頭で朗々と主題を奏でるテノールホルン。この旋律の奇妙な音階や、管弦楽で耳慣れない音色であることから、異色の楽器と称されることが多いが、そうとも限らない。 吹奏楽においてテノールホルンは比較的メジャーな楽器であり、吹奏楽の流儀により、大きくアメリカ式、イギリス式、ドイツ式に分類される。 アメリカ式はいわゆるB管ユーフォニウムであり、イギリス式はEs管である。 マーラーが第7交響曲で指定されているテノールホルンは、スコアでB管指定であることとマーラーの生活圏からドイツ式であることが容易に想像できる。
このドイツ式テノールホルン、ドイツ式だけあってオーバル(卵)型の巻きを持ち、ロータリーバルブを備えている。 ワーグナーチューバに似ているが、管の巻きは逆。 ユーフォニウムより細めの管を持ち、ドイツの吹奏楽や軍楽隊ではやや管の太いバリトンとともに美しいオブリガートを担当することが多い。 マーラーは軍楽隊の演奏を耳にすることも多かったはずで、きっとテノールホルンの奏でる旋律もよく聞いていたのであろう。
![]() マーラーは、全交響曲のうち第7交響曲にのみ、しかも冒頭の大旋律にテノールホルンを用いている。 マーラー自身はこの冒頭部分を「自然が吼える」と語ったという説もあるが、ここで何を表現したかったのであろうか。 ハ長調の官能的な喜びで完結する第7交響曲の冒頭で、テノールホルンの強い響きをもってあいまいともとれる主題を提示する。 マーラーの世界観を再認識させられるこの表現にテノールホルンが重要な役割を担っている。
Herdenglocken (ヘルデングロッケン)
![]() 家畜の鈴。 英語ならCowbell(カウベル)、つまり「牛の鈴」です。 牛飼いの人たちは牛を放牧する時にどこに行ったか分かるように鈴を牛の首にぶら下げておきます。 猫の首に付ける鈴はかわいらしいものですが、牛ともなればサイズも大きいので、鈴というより鐘です。 日本ではあまり印象にないのですが、牧畜の盛んな地域、特にアルプス地方ではおなじみの風景なのだそうです。
マーラーと親しかった2人の作曲家が用いています。 Rシュトラウスの「アルプス交響曲」では、山を登っていく途中ののどかな風景を描写しています。 ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品作品10」では、抽象的な(意味を持たせない純粋な)“音”を形成しています。 2曲ともマーラーの死後に発表されているため、特にウェーベルンの場合はマーラーへのオマージュと考えられています。
さて、マーラーは第6交響曲と第7交響曲でHerdenglockenを使用しています。 どちらの曲にも共通しているのですが、最初は静かな部分で、かすかに(舞台裏から)鳴らす、と書かれています。 マーラーがアルプスの大自然で放牧されている牛の、かすかな鈴の音を聞いて、その朴訥とした響きに魅せられたのであろうことは、想像に難くありません。 ただし第6交響曲の注釈では「放牧牛の鈴の音を模倣して、しかし描写的な解釈を許すものではない」とはっきり書かれています。 そして第7交響曲の最終楽章で登場するHerdenglockenは、様々な楽器が鳴らされる場面で強奏で重ねられます。 牛の群れが目の前に来たような騒々しさを表すのでしょうか?、いや、ここでもマーラーは描写的でなく、観念的な「何か」を表そうとしていたのだろうと考えられます。
Glockengeläute(tief)([低音の]鐘の音)
鐘といえばベルリオーズの「幻想交響曲」を思い浮かべますが、意外とオーケストラ曲ではしばしば用いられている楽器です。 ふつう、編成に「鐘」とあれば、Chimes(コンサートチャイム、またの名はTubularbells。管で出来た鐘。のど自慢のあれです。)を用意します。 しかし、指揮者の曲の解釈によってはチャイムの音で満足しないこともしばしば。 そうなったら何か別のもので試行錯誤しなければなりません。 いい音が出る「金物」が決して演奏し易いとは限りません。打楽器奏者の悩みの種です。
マーラーの交響曲でも鐘はよく使われていますが、第3、第8、第9交響曲では、数個の鐘の音程が指定されており、チャイムが使われることもあります。 それに対し、第2、第6、第7交響曲ではGlockengelaute(tief)、またはtiefeGlockenと書かれ、音程の定まらない複数の金属を叩くとだけ指定しているのです。 どんな鐘の音を表現すればよいのか? 鐘といえば「のど自慢」か「除夜の鐘」の日本人には難題です。(こちらの動画のような教会の鐘で本当に正解なのでしょうか?)
教会の鐘は、数個では音程がはっきりしてしまいます。 演奏会場でこれだけの数のカリヨンは鳴らせません。 ましてや遠くで鳴らす事など、不可能です。 やはり観念的な何かをあらわす為に、音程感をなくす、その再現の為に金属が云々という指示を書き込んだのでしょう。
さて、第7交響曲では第5楽章で登場します。 ただでさえ理解に苦しむ第5楽章のキモです。 はたして何を鳴らし、何をあらわせばよいのでしょう? 判らないからこそ、いろいろな演奏者の解釈を聴いてみたくなる、という仕掛けなのかもしれません。
Mandoline (マンドリン)
![]() リュートから派生したイタリア発祥の撥弦楽器。 調弦はヴァイオリンと同じですが複弦で、指板にはフレットがあり、ピックで弾いて演奏します。
![]() 古典的イメージでは、恋人の部屋の窓の下で愛を歌うセレナーデの傍らで爪弾く姿が印象的で、モーツァルトの歌劇にも登場しています。 本作品では第4楽章に登場しますが、夜空に星が瞬くような、シンプルで素朴な音色をお楽しみください。
Guitarre (ギター)
今回演奏する交響曲第7番には、マーラーのスコアで唯一「Guitarre」のパートが書かれている。つまり「ギター」。
![]() クラシッククラシックギター(この稿では以下、「モダンギター」と呼ぶ。写真右)が登場する一時代前に普及していたのが、「ロマンティックギター」(日本では「19世紀ギター」と呼ばれることが多い。写真左)。 今回の演奏会では、ロマンティックギターを使って演奏する。理由は後述するが、その前提として「ギター史」をごく大雑把にではあるが俯瞰しておきたい。
ロマンティックギターは「手軽なリュート」的な楽器として誕生した、と言われることがある。 ヴィヴァルディもギターのための曲を書いているので、その当時には少なくともロマンティックギターの原型となる楽器はあったと思われる。 が、当時はまだ音域・チューニング・弦の本数などさまざまなバリエーションがヨーロッパ各地にあり、統一的な仕様は確立されていなかった。
時代は下り、19世紀初頭には現在と同じ「六単弦」、つまり弦の通り道が6コースあり、1コースに1本の弦が張られている(例えばマンドリンは1コースに2本の弦。 このような状態が「複弦」、これに対してギターなど、1コースに1本の弦が張られている状態が「単弦」と呼ばれる)楽器がギターの統一的な仕様としてある程度確立していたと思われる。 この楽器がヨーロッパを席巻したのが19世紀前半。シューベルトやベルリオーズが親しみ、パガニーニも自作の曲を演奏していた時代である。 楽器として標準となる仕様は確立されたものの、楽器そのものは本質的には変わっていない。 ソルやジュリアーニ等、ギタリストやギターファンにはお馴染みの作曲家たちも皆ロマンティックギターで作曲し、この楽器で演奏していたということになる。
19世紀も半ばから後半に入ってきて、ロマンティックギターは衰退する。 そんな時期に一人の製作家が現れた。アントニオ・デ・トーレス。 そのギターはサイズ、材質、内部構造すべてがそれまでのギターと異なり、必然的な結果として音質も大きく変化した。 トーレスの音は張りがあり、強く輝かしい。 おそらく当時、他の楽器でもみられた変化、チェンバロからピアノへ、バロックヴァイオリンからモダンヴァイオリンへという動きも同心円状にあったのではないか。 時代が求める音、といってよいだろう。
トーレスとその追随者の作る楽器は、最新鋭のギターとしてプロの演奏家を中心に次第に拡がり続けた。 これが今のモダンギターに繋がる。
実質的には「別の楽器」と言ってよい2つの楽器、「ロマンティックギター」と「モダンギター」の併存は長く続いた。 一説によると、第2次大戦期までロマンティックギターの演奏者人口はそれなりに多かったとも言われるのだが、そういう状況にとって致命傷になったのが第2次世界大戦の戦火と、戦後の交通手段と録音技術の進歩。 伝統ある工房の多くが再起不能に追い込まれた一方で、セゴヴィアなどの著名な演奏家はツアーや録音でモダンギターの音を世界的に普及させた。 ロマンティックギターは一時期ほとんど姿を消したが、ここ2、30年の古楽復権の流れに乗ってようやく再び光が当たり始めた、というところだろう。
ようやくここで、マーラーが7番で書いた「Guitarre」がどちらの「ギター」だったのか、という疑問に辿り着く。
だが、ここまでの論考から導き出される解答はそう難しくないだろう。
![]() 古き良き時代を回顧するような第4楽章全体の曲想、そして318、319小節にある、現在のギターでは低すぎて出せないC音の存在。 このCが出せるのは19世紀以前の、つまりギターの統一的仕様が固まる以前の楽器だということを考え合わせると、当時最新鋭のモダンギターをマーラーが想定していた、というのはやや考えにくい。
マーラーの頭の中で鳴っていた音が、ロマンティックギター(あるいはさらに時代をさかのぼった楽器)のそれだったと考えるのは、あくまで推論の域を出ないが、それなりに妥当性を持っていると思う。
初演時やそれに近い時期の演奏が実際にどうだったのかは知る由もないが、少なくとも最近の演奏では、この曲でロマンティックギターが使われた例は寡聞にして知らない。 (写真の楽器は、2001年黒田義正氏製作。今回の演奏会では、この楽器を使って演奏する。)
今回の演奏がどんな響きになるのか。それがマーラーの想定した響きに少しでも近づければ、幸いである。
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